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2015/01/17

願わくば

最近気になることを芋づる式に。

お山が噴煙を上げている日とそうでない日、あるいは少ない日があるのはなぜ?

こう考えてみた:雪が降り積もって噴火口を蓋して噴煙が止まり、やがて山からの熱で融けたら再び噴煙が上がるのでは?

西行は富士のお山の煙を詠んでいるけれど、ほんまに見たんか?

噴火史を斜め読みすると、存命中に噴火した記録があるようだ。奥州への行きがけに見たんじゃないか説はつじつまが合う。

では、源(木曽)義仲はお山のことをどのように認識していたか?

お山に何か願掛けしたという記録があるという情報が嘘か真実か確かめようもないけれど、まあ木曽にいたなら知ってたと考えるのが妥当。そして、存命中も含めて噴火の記録はないようだ。

覚明上人はお山への道をひらいたそうだけど、火山と認識してたのかな?

わかってたかもしれないけれど、大丈夫大丈夫〜、有史以来噴火してないし最早もと火山だねって感じだったのかも。

思考は細い糸みたいにまだまだ続く。この世にお山のある限り、お山のそばにわたくしがいる限り。いや、いなくてもだな。気持ちはいつも西行。ことばにしてもしなくても。

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